向井時雨のあまごい。

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面倒臭いことができる人間が憎らしい

「何かしたいけど何をしよう」

そんなことを思う毎日を過ごしている今日この頃。

 

 

 ラノベを読みふけっては「なろう小説でも書いてみようかなー」とか。

ボードゲームで遊んでは「ブログで紹介しようかなー」とか。

素敵な音楽に出会っては「俺もこんな曲作ってみたいから作曲でもしようかなー」とか。

 

はい。

全部、面倒臭くてやってません!!!

 

え?面倒臭い事ができる人間って人生イージーモードじゃない?

だってなんでもやろうと思ったらできちゃうじゃん。

大事な大事な第一歩が踏み出せちゃうじゃん。

そのあとも面倒な「歩く」ができちゃうじゃん。

 

えー。

いいなーいいなー。

 

とはいえ。

俺もラノベやビジネス書を読んだり、身内でくらいならボドゲパーティーを企画したり、他人が思う「面倒臭いこと」をやっている気もする。

 

んー・・・この違いは何だ?

というかなんでラノベ読んだだけで「書きたい」とか言う思考になってるんだ?

 

THE 承認欲求。

 

・・・これだ!!

 

面白かったり、感動したりすると、「自分もそんな感動を与えたい!すごいって言われたい!ちやほやされたい!」と思っている気がする。

 

なるほどなるほど。

つまりはこれが根源的な欲求なわけだ。

まぁ、よく考えてみれば評価されている世の人間たちも、色んな理屈で着飾ってるだけで、つまるところはこれだろ?って感じは大いにある。

「そんなことない!」って言う人は個人的には「自分自身でそう信じきることで善良であることを対外的にアピールすることのメリットを自己防衛として無意識にやってる」だけだと思ってる。

 

で、なんでやれることとやれないことがあるんだ?

単純に分けてみれば、自分が楽しむことはすぐできる。

でも、目的が楽しませることになるとできなくなる?

 

「そうか!自分が楽しむつもりでやってみればいいんだ!」

 

なーんてなるわけないのでここには決定的な何かがある。

それが先に進めない壁になっているのでは?

 

楽しいと感じれる様になるタイミングを想像し、それまでの道のりを想像し、そうならないかもしれないという予想とそれまでの苦労を考えてしまっている。

 

すっと、そんな事が頭に浮かんだ。

めちゃめちゃこれっぽい。

 

変に賢かったり知識があることでそれが難しいことであると脳が判断している。

 

むむむ。

今さら「それらの知識を知らない」にはできないし、これは難しくなってきた。

 

逆にめちゃめちゃ詳しくなって「いける!」ってなってもそれは「楽しいこと」なのか?みたいな葛藤もある。

いや、この辺の考え方は思考停止感がすごいから、きっと何かが間違ってそうだけど、頭の中のちっちゃいおじさんが「その先考えるのやめね?」ってめっちゃ言ってくる。

 

そもそも自分の人生の中で、一つもそういう面倒臭いことをやれたことは無いのか?

 

・・・

 

・・・

 

あったけど、なんかこの思考ルートは違う気がするからやめ。

 

それとは別にふと思った。

単純に「読む」楽しさは知ってるけど「書く」楽しさを体感してないのでは?

「遊ぶ」楽しさは知ってるけど「紹介する」楽しさを体感してないのでは?

「聞く」楽しさは(以下略

 

あー、これはあるわ。

そのくせ、その先のことやろうとしてるのもよくなさそう。

 

消費者じゃなくて提供者側の楽しさを体感しなきゃだめだこれ。

 

てか、お腹減ってきた。。。

 

キッザニアで職業体験とかしか浮かばなくなって来たからあとはご飯食べてからにしよう。

 

ってことでおしまい。(唐突)